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やまねこ翻訳クラブ レビュー集

やまねこのおすすめ(2003年4月)

<少女の澄んだまなざしで>

遠くからみると表紙

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遠くからみると――FROM A DISTANCE――

"From a distance"

ジュリー・ゴールド文

ジェーン・レイ絵

小島希里訳

BL出版

2002.9.20

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*表紙の画像は、出版社の許可を得て使用しています。

 「遠くからみると
   地球は青とみどりいろ」

 最初のページは、宇宙からみた地球の絵。次に描かれるのは、大空高く舞う鳥の目からみたような、空と山々と海。それからみどり豊かな野、のどかな町があらわれる。こうしてページを追うごとに、しだいに風景がクローズアップされ、町かどで遊ぶ子どもや装飾的な建物が描かれていく。部屋の窓からのぞく小さなテレビの画面に、戦車の姿がみえる。やがてその戦車が街路を走り、軍用ヘリが空を飛び……窓辺に立つ少女の横顔が大きくうつしだされる。

 少女は、通りを去っていく友だちをみつめている。友だちを敵だとは思えない少女の、切りそろえたつややかな髪と柔らかそうな白い頬。あまりに無垢でいとしいその面立ちと、かたわらにある地球儀の青とみどりいろが心にひびく。わたしはこの少女を愛すると同時にすべてを愛することができる、と感じる。たとえ錯覚でも過剰なセンチメントでも、この気持ちは、この涙は確かなものだと思える。

 遠くから、神はすべてをみそなわす。その神がどんな名であるとしても、遠くからみている眼を、遠くから愛をそそぐ大きな心を、わたしは感じる。

 何が正しいか決めるのはむずかしい、苦しみや悲しみを血で洗い流そうとする手を止めるのはむずかしい、けれど。

 しずかにまた景色は遠ざかる。壊れた建物が苦悶にうめき、人々が墓地でひざまずく。少女は待ちつづける。町かどに子どもたちの笑い声がもどり、いっしょに人形遊びをした友だちが帰ってくることを信じて。

 青とみどりいろの地球、きらきらとかがやく金がちりばめられた、美しい美しい風景。

 そう、――遠くからみると。

 この絵本の文章は、1990年のグラミー賞最優秀曲『ディスタンス』の歌詞。ベトナム戦争をはじめ数々の争いに対する思いが語られている。歌詞をそのままつかった絵本が出版されたのは、1998年。画家は、ボスニアで活動する草の根グループに」献辞を捧げており、バルカンの紛争に思いをはせて絵を描いたと思われる。ページの背景にコラージュされた各国の文字や地図の断片からも、画家の祈りがきこえるようだ。
 絵本にこめられたそれらの思いは、常に現実をせつなく指差している。時が移り場所がかわっても、人と人とが争って、血が流れる場所が絶えない限り、この絵本は歌いつづけるのだろう。そう、今も。この歌の役目が終わるときが、いつかやってくると信じて。
 どうかその声をきいてください。

【作者】ジュリー・ゴールド Julie Gold: 1956年、米国生まれのシンガー・ソングライター。ソロやグループで音楽活動を続けている。"From a Distance"は、1985年の作品で、まずナンシー・グリフィスの歌でヒット。ベット・ミドラーの歌でグラミー賞を獲得した。

【画家】ジェーン・レイ Jane Ray: 1960年、英国生まれ。1992年、"The Story of the Creation" でスマーティーズ賞を受賞。"Fairy Tales"などで、グリーナウェイ賞候補に4回あがっている。邦訳に『クリスマスのおはなし』(奥泉光訳/徳間書店)、『ちゃっかりこぞうは、まるもうけ?』(マラキー・ドイル文/きむらみか訳/徳間書店)などがある。

【訳者】小島希里 こじま きり: 1959年、東京生まれ。『かみなりケーキ』(ポラッコ作/あかね書房)、『ねこのジンジャー』(ヴォーク作/偕成社)、『自分をまもる本』(ストーンズ作/晶文社)など、児童書の翻訳を中心に活躍し、中でもカニグズバーグの作品を多く手がける。

【参考】
やまねこ翻訳クラブ 小島希里さんインタビュー(『月刊児童文学翻訳』2001年4月号)
http://www.yamaneko.org/bookdb/int/kkojima.htm


菊池由美

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<気持ちが通いあうことの希望とよろこび >

もうひとりの息子表紙 *************

もうひとりの息子

ドリット・オルガッド作

樋口範子訳

橋本礼奈絵

さ・え・ら書房

2002.07

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*表紙の画像は、出版社の許可を得て使用しています

 この物語はユダヤ人のミリアムとアラブ人のハミッドの出会いから始まる――。
 ミリアムはシナイ戦線で愛する息子ハイムを亡くし、ぬけがらになった。息子を殺したアラブ人をひたすら憎み、正気を失った。実の娘たちにさえも心を閉ざし部屋にこもった。

 イスラエルには、ミリアムのようにアラブ人を憎み差別する人間が多くいる。なぜか? 訳者あとがきを引用して歴史を少しみてみよう。「現在イスラエルの位置する、かつてパレスタインと呼ばれたこの地では、いくつもの民族がここをふるさととして、また重要な通過点として歴史を重ねてきました。そして今となっては人口の多くを占めるユダヤ人とアラブ人のあいだで長い間紛争がつづいている……」同じ土地をふるさととして主張し、憎しみや差別をうみ闘いがおきているのだ。

 しかし、差別されていながらも、イスラエルの市民権を得ることを選んだアラブ人もいる。この物語の主人公ハミッドがその1人だ。ハミッドは、医学の勉強をするために、イスラエルの大学に入学した。住むところを探そうと不動産屋を訪れるが、アラブ人だと知ると、冷たくあしらわれ、紹介してくれる下宿先も少なかった。そのわずかな下宿屋さえも、ハミッドがアラブ人だと知ると冷たくドアを閉める。紹介された最後の1軒、それがミリアムの家だった。
 息子を亡くしてから誰とも口をきかないミリアム。ノックの音でドアを開けるとそこにはハミッドがいた。「息子がかえってきた!」喜ぶミリアム。そう、ミリアムは、ハミッドを失った息子ハイムだと思いこんだのだ。その日からミリアムは、口をきき、おだやかな生活をおくるようになった。ハミッドにはミリアムがよぶ「ハイム」が誰かはわからない。しかし、ようやく自分を受け入れてくれる下宿先が見つかり安堵するのだ。

 背景にはつらい紛争があるのだが、物語は声高に何かを訴えるのではなく、ミリアムとハミッドの2人をていねいになぞる。ミリアムは、自分の憎むアラブ人と一緒に暮らしているという意識はなにもなく、ただ息子がもどってきたと喜び、ハミッドを大事にする。正気を失っているので、ハミッドがアラブ人だとわからないのだ。それまで、アラブ人というだけで、どの家のドアからも閉め出されたハミッドにとって、事情がわからなくても、屋根のある部屋で眠れるのはありがたい。ハミッドもミリアムを大事にする。しかし、ずっとそういう生活は送れなかった。別々に暮らしているミリアムの娘夫婦らが、母親が憎むべきアラブ人と暮らしていると知ったのだ。彼らはハミッドに近づき……。

 憎しみあっている民族どうしが一緒に暮らすのは、現実には難しい。正気を失っているからこそ、成り立っていた2人の生活なのだろう。そして、それ故に、素の人間同士としてつきあうことができたのだろう。状況を普通でない設定にして、この物語は理想をいってるだけなのか? いや、そうではない。この本の帯に、イスラエル読者の言葉紹介しているのを引用する。「ここに書かれているような話はたくさんある。でも現状があまりにも緊迫しているので、個々のこころの奥に埋もれてしまいそう――」理想物語ではないのだ。
 作者、ドリット・オルガッドは「人間の内面性を信じ、人と人との対話に望みをかけたいと思う」と書き、それをこの物語で見事に表現している。ここにはイスラエル人とアラブ人がいるのではない。ミリアムとハミッドという2人の人間がいて、その2人を描いているのだ。もちろん、現実には民族の壁はある、差別もある。ラストは、気持ちが通い合うという奇跡のような希望を読み手にみせてくれる。そして、背表紙に描かれた小さい絵には、その希望があらわれている。

【作者】ドリット・オルガッド Dorit Orgad: ナチス政権下のドイツに生まれ、1939年、2歳の時、家族とともに現イスラエルに帰還。ヘブライ大学にて経済学、社会学を修め、教師およびジャーナリストになる。その後、バル・イラン大学にてユダヤ哲学博士号取得。50冊の著作のうちほとんどが、イスラエル国内テレビ、ラジオで脚色放送され、各賞受賞。当作品はドイツ語、スペイン語に翻訳されている。

【訳者】樋口範子 ひぐち のりこ:
 1949年生まれ。立教女学院高校卒業と同時にイスラエルに渡り、2年間キブツ・カブリ・アボガド園で働く。帰国後、山中湖畔児童養護施設保母、パン屋を経て、現在は同地で喫茶店を営む。訳書に『キブツその素顔』(ミルトス社)、『六号病室のなかまたち』(さ・え・ら書房)。


【画家】橋本礼奈 はしもと れいな: 北海道生まれ、東京在住。武蔵野美術大学大学院修了。個展、公募展などでおもに油絵の作品を発表しながら、壁画、挿絵、テレビドラマの美術協力などの仕事をする。主体美術協会会員。作品に『六号病室のなかまたち』『エンゼル・マイク』(共にさ・え・ら書房)。

林さかな


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