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やまねこ翻訳クラブ 資料室
 菱木晃子さんインタビュー

ロングバージョン

『月刊児童文学翻訳』2009年3月号の「プロに訊く」の記事に質問事項を加えて再構成しています




 スウェーデン語やオランダ語の子どもの本を精力的に翻訳し、日本の子どもたちに質の高い読書体験をと尽力なさる菱木晃子さん。今回は、スウェーデン文化が身近にあった子ども時代のことから、ご親交のあるウルフ・スタルクさんのことまで、盛りだくさんのお話をうかがうことができました。プロ魂と児童書を思う気持ち、そしてあふれるパワーに、感銘を受けることしきりのインタビュー陣でした。ご多忙な中、長時間におよぶインタビューに応じてくださった菱木さんに心から感謝いたします。

                



【 菱木晃子(ひしき あきらこ)さん 】

1960年生まれ。横浜市在住。本と漫画に囲まれ、「活字三昧」の子ども時代を過ごす。慶應義塾大学法学部在学中にスウェーデンを訪れたことがきっかけで、児童書翻訳家を志す。卒業後同大学文学部に学士入学、その後スウェーデンのウプサラでスウェーデン語を学び、1988年、『サーカスなんてやーめた』(トーマス・ティードホルム作/アンナ‐クララ・ティードホルム絵/岩崎書店)で翻訳家デビュー。訳書は『ニルスのふしぎな旅』(セルマ・ラーゲルレーヴ作/福音館書店)など多数。


『フローラのにわ』表紙

『フローラのにわ』
クリスティーナ・ディーグマン文・絵
ひしきあきらこ訳
福音館書店

『フローラのにわ』のレビューが、月刊児童文学翻訳2009年3月号「プロに訊く連動レビュー」に掲載されています。

   菱木晃子さん公式ウェブサイト
   ・菱木晃子さん訳書リスト(やまねこ翻訳クラブ資料室内)




Q★ まず、スウェーデンという国と菱木さんとの「馴れ初め」を聞かせてください。
A☆ 父がスウェーデン法の研究者で何度も長期留学していましたし、スウェーデン語も話せました。そのため小さなころからとても身近な国だったのです。ただ、わたし自身が初めて現地を訪れたのは20歳の時でした。スウェーデンの空気にじかにふれて、いい国だなとたちまち好きになってしまいました。
 




Q★ スウェーデン文学との出会いも子どものころだったのですか?
A☆ はい、そうです。わたしが5歳の時、スウェーデンに留学中の父がエルサ・ベスコフの絵本の原書(※編注)を送ってくれたのですが、その美しい絵に驚きました。日本が経済成長期の、まだそれほど豊かでないころのことですから、ほんとうに夢のような世界に思えました。でも中に出てくるトロルは、いわゆる、おばけだと思っていましたけど(笑)。また、来日したスウェーデンの方に、岩波書店から出ていた『長くつ下のピッピ』、『やかまし村の子どもたち』(ともに大塚勇三訳)などリンドグレーン全集をたくさん買ってもらったこともありました。当時は、スウェーデン人っていうのはなんてお金持ちなんだろうと思っていましたが、今考えると1ドル360円時代で、スウェーデンクローナも高かったですから、その方にとってはそれほどの出費ではなかったのかもしれませんね。

※編注:後に邦訳の出た『もりのこびとたち』(おおつかゆうぞう訳/福音館書店)





Q★ どんな子ども時代をすごされましたか?
A☆ 実家には本がたくさんあって、本を読むのが好きでした。幼稚園のころ、好きだったのは『ちびくろサンボ』と『シナの五にんきょうだい』です。また、両親や学校の先生が本を読んだりお話をしたりしてくれるのも楽しみでした。小学生のころは江戸川乱歩にはまった時期や、子ども用の国語辞典を読んでおもしろがっていた時期もあります。図鑑も好きでした。6年生くらいで岩波文庫を買い始めました。漫画雑誌の「マーガレット」は、小学校6年間、毎週かかさず買っていました。中学高校時代も平均すると、国内外の小説を2日に1冊は読んでいたかもしれません。本にまつわる思い出といえば、小学校低学年のころに父の知り合いが、お子さんが読まなくなった世界児童文学全集をくださる約束をしてくれて、毎週仕事で会う父経由で1冊ずつ届けてくださったことがあります。宅急便などない時代でしたからね。本もうれしかったのですが、大人が子どもとの約束を守ってくれたことに感動しました。
 




Q★ スウェーデン語を学びはじめたのはいつですか?
A☆ 高校時代までは、父のスウェーデン留学に家族でついていくことはありませんでした。日本できちんと教育を受けたほうがいいという父の方針でしたが、いま振り返ると、母語である日本語を培うという意味ではとてもよかったと思います。スウェーデン語は、大学に入学してから父に少し教わっていましたが、本格的に勉強を始めたのは、初めてのスウェーデン訪問の後です。父がボランティアで数人に教えることになったので、そこに約1年参加した後、家にあるスウェーデン語の本を辞書と首っ引きで読みました。また休みのたびに現地にも行き、大学を終えてからはウプサラで集中して勉強しました。
 




Q★ 翻訳家になりたいと思ったのはいつごろですか?  
A☆ 高校時代に、将来は日本語を書く仕事がしたいとぼんやり考えていました。でも弁護士にも憧れていたので、大学では法学部に進みました。ところが、在学中に訪れたスウェーデンで、現地の書店に並ぶ昔なじみのベスコフの絵本などを見ているうちに、この国の本を日本語に翻訳したいという思いがわいてきました。そこで帰国後、次々と就職先を決める同級生を尻目に翻訳家になる方法を考え、まずは文学をいちから勉強しようと文学部英米文学科への学士入学を決意したのです。スウェーデン語の翻訳をするのに、英米文学を学ぶのは回り道では? と思われるかもしれませんが、聖書やシェークスピアなど、西洋文学の基礎をみっちり学んだ2年間はとても有意義でした。
 




Q★ 語学と文学の力を身につけられ、あとはきっかけを待つばかりになったのですね?
A☆ 語学や文学の力にこれで十分ということはありませんが、知り合いの作家の方に自分の書いたエッセイを見ていただき、日本語の文章は磨けばなんとかなりそうということで岩崎書店に紹介してもらいました。そこで、現地に行くたびに買いためておいたスウェーデンの児童書を持ち込みました。でも、そのころの日本では、スウェーデンの作家といえば、極端な話、リンドグレーンぐらいしか知られていない状態で、なかなか新しい作家を受け入れてもらえませんでした。2年ほどは空振りが続きましたが、やっと『サーカスなんてやーめた』が編集者の目にとまり、出版が決まりました。その後続けて2冊の幼年童話を出すことができました。 





Q★ デビュー後はとんとん拍子にいかれたのでしょうか?
A☆ デビュー後すぐに結婚して、夫の仕事の関係でそのまま1年半ほどアメリカに滞在しました。帰国後にすぐ仕事を再開しようと思っていましたが、そううまくはいきませんでした。当時は新人の甘さから、一度訳書を出せば、黙っていても仕事はくるものくらいに思っていたんですよね。そう甘くないと知って、それからの数年はひたすら持ち込みをしましたが、花開かず苦しい時代をすごしました。そうこうするうち、知人の作家の方から「今がんばっておかないと」と喝を入れられ、わたしもこのままでは一生埋もれて終わると思い、それまでより積極的に出版社への働きかけをしたのです。「営業強化月間」ですね(笑)。すると佑学社や福音館書店などとご縁ができて、出版が決まりました。





Q★ 今でも持ち込みはされますか?
A☆ はい。自分で持ち込んだものはかなりあります。スウェーデン語という特殊性に加えて、わたしは自分が読んでみておもしろいと思った作品しか訳さないことにしているので、自分で見つけた作品が出版に結びつくことが多いです。よくどの訳書が好きかと聞かれますが、そういうわけで自分の訳書はどれも好きなんです。原書探しは、やはり現地ですると、いい作品に出会う確率が高いです。ボローニャのブックフェアに行ったり、インターネットで探したりすることもあります。基準のひとつは、日本人には書けない作品であること。一方、矛盾するようですが、日本人が共感できる要素がないとたとえスウェーデンで売れている本でもだめですね。そのバランスがうまくとれていないと。ファンタジー作品の邦訳が少ないといわれますが、スウェーデンのファンタジーは空想世界を矛盾なく構築できていない作品が多いので残念です。ファンタジーを紹介するなら、いろいろな意味で「ハリー・ポッター」シリーズを超えるものでないといけないと思っています(笑)。





Q★ ウルフ・スタルクさんとのご交友について聞かせてください。

『うそつきの天才』表紙

『うそつきの天才』
ウルフ・スタルク作
はたこうしろう絵
菱木晃子訳
小峰書店

A☆ スウェーデン文化交流協会が現地で開催している翻訳家セミナーに参加したときに、講師だったスタルクさんと初めてお会いしました。このときスタルクさんがみんなの前で朗読なさったのが「シェーク vs. バナナ・スプリット」でした。参加者の数人がその原稿がほしいというと、スタルクさんは全員にコピーをくださったんですよ。数年後に再度セミナーに参加したときには、ご自宅にうかがってパソコンに入っていた「うそつきの天才」の生原稿をいただきました。この2作品に、はたこうしろうさんの挿絵がついて、ウルフくんが主人公のショート・ストーリーズ第1弾(※編注)が生まれました。はたさんの挿絵はスタルクさんもお気に入りで、その後本国で出版となったときにも韓国語版でも、そのまま使われています。このシリーズは自伝的作品といわれていますが、スタルクさんは、今でもお話に出てくるウルフくんを思い起こさせる、気さくで茶目っ気のある方です。
 ところで、ちょっと宣伝していいですか。スタルクさんの代表作と呼ぶべき『シロクマたちのダンス』(偕成社)が昨秋、久々に重版になりました。読み継がれていってほしい本の一冊ですので、本当にうれしく思っています。

※編注:『うそつきの天才』(小峰書店)

・『シロクマたちのダンス』のレビューが、月刊児童文学翻訳2009年3月号「プロに訊く連動レビュー」に掲載されています。

・『シロクマたちのダンス』の挿絵を手がけた堀川理万子さんのインタビューが、『月刊児童文学翻訳』1999年10月号「プロに訊く」に掲載されています。

『シロクマたちのダンス』表紙

『シロクマたちのダンス』
ウルフ・スタルク作
堀川理万子絵
菱木晃子訳
偕成社





Q★ 新しい作家を紹介する一方、古典の新訳にも取り組んでいらっしゃいますね。
A☆ 『ニルスのふしぎな旅』は福音館書店から打診をいただいてから原書を再読し、数か月後に訳す決心をしました。締め切りはなかったのでじっくり取り組み、足掛け8年かかってしまいました。翻訳とはそれぞれの作品の雰囲気を日本語で伝えることと思っていますので、女性作家ならではの母性豊かな文体を表現するために、敬体で語りかけるような文章にしたいと思いました。また今の日本の子どもが楽しく読める、そしてどこを朗読されても耐えられる訳にすることを目指しました。ですから訳文で工夫し、注はつけていません。わたしはどの作品も必ず音読してチェックすることにしています。もちろん膨大な量のニルスもすべて音読しました。校正の段階に入ってからは、しばらくはニルスに集中して仕事をしようと思っていましたが、そのころに岩波書店から『長くつ下のピッピ ニュー・エディション』のお話をいただきました。憧れのピッピですし、大好きなローレン・チャイルドの挿絵だったこともあり、一晩悩んだ末にお受けしました。
 ピッピは訳していて楽しくて、楽しくて! 明日は一番好きな泥棒の場面を訳せると思うと興奮して眠れなかったり(笑)、おしまいのピッピのせりふに感動して訳しながら泣いたりしました。この作家は子どもに大きな夢を与えつづける方なのだと再確認した涙です。子ども時代に読んだときとはまた違った感じ方ができた、これぞ児童書の醍醐味だと思います。

『ニルスのふしぎな旅』表紙

『ニルスのふしぎな旅(上)』
セルマ・ラーゲルレーヴ作
ベッティール・リーベック絵
菱木晃子訳
福音館書店





Q★ 訳書の多さには驚くばかりですが、どのように進められていますか?
A☆ 常時、何冊かは同時進行しています。持てる時間は限られていますので、1冊1冊のスケジュールを調整しながら進めています。出版という「あがり」を目指して、ひとり双六をするように、いくつもの駒を進めていく感じです。始めにきちんとしておくと後が楽なので、入稿時はここで自分が死んで、万が一訳稿がそのまま世に出てもいいというぐらいの完璧さを目指します。あ、でも、もちろん、そのあともいっぱい直すんですけどね(笑)。集中力には自信があります。翻訳作業の他に月に1、2回は講演の仕事もあります。家事もします。仕事の間のリフレッシュになりますしね。このようにして、平日は朝から晩まで仕事をしていますが、週末は基本的に休むようにしています。気分転換は大事です。
 




Q★ オランダ語の作品も訳されていますが、いつ勉強なさったのですか?
A☆ 夫の仕事の関係で、5年ほどオランダに滞在したときです。日常会話では英語が通じましたが、役所からの書類を読んだりテレビを観たりするのにオランダ語ができたら便利だろうと思ったのです。そこで軽い気持ちで移民向けの学校に行くことにしました。ところが、過去の経歴などからオランダ語の国家検定を目指すクラスに入れられてしまい、週5日の厳しいレッスンを受けることになりました。おかげで1年ちょっとの学習で試験には合格しました。スウェーデン語とオランダ語は単語が似ていますしね。オランダ語の翻訳については、依頼がきて気に入ればするということにしています。作品探しはスウェーデン語だけで手いっぱいなので。ノルウェーやデンマークにもいい作品があるのですが、なかなか手がつけられません。
 




Q★ 今後の出版予定について教えてください。

A☆ 春に「ステフィとネッリ」シリーズ(アニカ・トール作/新宿書房)の3作目『海の深み』が、夏ごろに岩波書店から『日曜日島のパパ』という小学校中学年向けの読み物が出ます。小峰書店からは「パーシー」シリーズの3作目が、はたさんの挿絵で出るほか、絵本や読み物があと4作品ほど年内に出版される予定です。
 





Q★ 翻訳家を目指すみなさんへのアドバイスをお願いします。また、英語以外の言語からの翻訳を目指している方に対しても、ひとことお願いします。

A☆ 翻訳で食べていくのは大変です。まして子どもの本はめったにベストセラーにはなりませんしね。ですから子どもの本が好きなこと、そして日本語を書くことが好きでないと続かない仕事だと思います。訳す本に関しては手あたり次第でなく、読むのは手あたり次第でも、自分が訳したい本と巡り合うことを心がけたらいいのではないでしょうか。また、子どもが人生で初めて出会う本になるかもしれないというプロの責任も感じてほしいです。それから初期投資は大事ですよ。原語・日本語間の辞書の他に、原語・原語間の辞書、その国の植物などの図鑑、百科事典といった参考資料も揃えておきたいですね。インターネットの情報はけっこう間違っていたりしますから。
 英語以外の言語を選ぶ場合、例えば英語では芽が出そうにないから他の言語でという考えはどうかと思います。自分の人生をかけるのだから、その国や文化に興味がないとやっていけないでしょう。文学の翻訳は字面だけを訳すわけではないですから。
 





Q★ 翻訳家としてのデビューを狙っているみなさんにアドバイスをお願いします。

A☆ 持ち込みのための訳をストックして、引き出しからつぎつぎと出せるようにしておくといいですよ。1冊訳すと勉強にもなりますから。それとマーケティングは大事です。各出版社の傾向をつかんでおかないと、的外れな持ち込みをしてしまいます。またリーディングを頼まれたら、ただシノプシスを仕上げるのではなく、自分の文章力をアピールする場だと思ったほうがいいですね。編集者に能力を試されていると思って、作業のひとつひとつをきちんとこなすことが大事です。そして編集者とのコミュニケーションを大切にすること。編集者と翻訳家は互いに育てあう関係にあるので、よい編集者に巡り合えたら幸せですね。訳稿にアカを入れられたら冷静に受け止め、自分はどうすべきか判断することが大切です。あとは、健康であること。翻訳の仕事は精神的にも前向きでないとやっていけません。そのためには、日常生活であまりくよくよしないことですかね!
 




取材・文:大塚典子
2009-03-15作成

※本の表紙は、出版社の許可を得て使用しています

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