メニュー資料室インタビュー

やまねこ翻訳クラブ 資料室
光野多惠子さんインタビュー


『月刊児童文学翻訳』2006年2月号掲載記事のロングバージョンです。

【光野多惠子(みつの たえこ)さん】

津田塾大学英文学科卒。舞台関係の仕事を経て、『恐竜大行進』(キャシー・E・ダボウスキー作/金の星社)で児童書の翻訳家としてデビュー。しばらく出版翻訳から遠ざかって翻訳学校で講師を務めていたが、2005年『最後の宝』(ジャネット・S・アンダーソン作/早川書房)で翻訳家として復帰した。
恐竜大行進
恐竜大行進
キャシー・E.ダボウスキー作
金の星社
クリスマスの幽霊
クリスマスの幽霊
ロバート・ウェストール作
坂崎麻子共訳
徳間書店
光野多惠子さん公式ウェブサイト

Q★やまねこ賞読み物部門での大賞受賞おめでとうございます。感想をお願いします。
A☆児童文学をたくさん読んでいる方たちに応援していただいて、本当に嬉しいです。やまねこ翻訳クラブの読書室掲示板にお邪魔した時も、翻訳家をめざしている方が多いせいか、本を作る大変さをよくわかっていらっしゃるので、安心して話ができました。まるでやまねこ出身者のように温かく迎えてくださって、仲間ができたみたいな気持ちでした。
 私はもともと宮沢賢治が好きで、中学時代に賢治の文体をコピーして自分で童話を書いていたんです。今回数年ぶりに翻訳を再開したのでかなり苦闘しましたが、そういう作品で「やまねこ」と名のつく賞をいただけて、すごく励みになりました。

Q★『最後の宝』で数年ぶりに出版翻訳を再開されたとのことですが、その間のいきさつを教えてください。
最後の宝
最後の宝
ジャネット・S・アンダーソン作
早川書房
A☆『コゼット』という長編歴史小説の翻訳をするのに2年もかかったために、以前尾てい骨を骨折した時の後遺症が出て、長い間座れないという、翻訳家にとっては致命的な問題を抱えてしまったんです。家族の病気などもあり、1999年以降は翻訳学校で教えるだけで手いっぱいの状況になりました。担当した講座では、自分が選んだ作家の作品を深く読みこんでいったので、それも面白くてなんとなく数年経っちゃったんですよ。でも、これではいけないと思って、2002年の暮れに早川書房の編集者を紹介してもらいました。早川書房が「ハリネズミの本箱」シリーズを立ち上げて間もないころだったので、自分がこれまでに翻訳した本を送って「リーディングからやらせてください」と言って売りこんだんです。それで仕事をいただいて、2冊目にリーディングをした作品が『最後の宝』でした。  この作品は荒削りというか、途中でちょっと筋が途切れるような所もあったりしましたが、作者が全力投球した感じで、そのさわやかさにすごく惹かれたので、その通りのことを編集者に伝えました。2004年の秋ごろに出版が決まって、正式に翻訳を依頼されたのは2005年に入ってからです。「3か月で訳してくれ」と言われました。翻訳期間自体は平均的な長さだと思いますが、校正スケジュールがきつくて苦労しました。

Q★『最後の宝』の翻訳で苦労された部分はありますか?
A☆第1章を訳すのに1か月ほどかかりました。ちょっとミステリータッチなので、どこまで児童文学的に訳したらいいのか、文体を決めるのにすごく迷って。また、第1章、第2章で伏線が張られたり重要なテーマが出てきたりしますよね。全体のトーンも決めなければならないし。これは、どの作品でもそうなのですが。
 登場人物の中では、主人公のお父さんがとらえにくい存在でした。年齢は32歳と若いのに、やることは老成しているので、そんな感じを出すためにはどんな口調に訳したらいいか悩みました。でも主人公の子どもたちの会話は、途中から2人が勝手にしゃべり始めた感じで、楽しく訳すことができました。
 ほかに難しかったのは、英語ではよくあることですが、叔父、叔母、祖父母の兄弟、従兄弟などを表す言葉が、原作ではすべて "cousin" になっていたこと。しかも名前で呼び合うのですが、これは日本語では変。それですごく悩んで、なかにはかなり高齢の人もいるのですが、主人公から見て歳の離れた親戚は一律に「○○おじさん」「○○おばさん」と訳しました。

Q★クエーカー教徒のことなどもいろいろとお調べになったようですが、調べ物のこつなどありましたら教えてください。
A☆ネット上である程度調べがついたら、大きな図書館で紙の資料にあたることにしています。『最後の宝』でもクエーカー教創始者の日記を読みに国会図書館へ行きました。
 それでも、日本のクエーカーの人たちが実際にどんな言葉を使っているのかが気になったので、つてを頼ってクエーカーの信仰をお持ちの大学の先生を紹介してもらい、質問に答えていただきました。自分でネットや図書館で調べるとすごく時間がかかってしまうようなことが、ちょっと話を聞いただけですぐに解決したので、人に会って直接話を聞くのも大事なことだと思いました。

Q★ところで、舞台関係のお仕事をしていらっしゃったそうですが、翻訳家になろうと思われたきっかけは何ですか?
A☆大学院在学中にお手伝いをしたことがきっかけで舞踊団に入り、通訳兼ゼネラル・マネージャーとして毎年のように海外公演に同行しました。そこで得がたい経験をしたのですが、稽古の段取りから海外との交渉、広報にいたるまで、一人何役もやらなくてはいけなくて、相当なストレスでした。それと、制作という仕事は舞台づくりには間接的にしか関われないので、もっと自分の手で何か作りたという気持ちもありました。で、思い切って辞めたわけですが、40歳近くなっていたし、いい就職口なんてそう簡単には見つかるわけがありません。でも、前の仕事で英語を使っていたので、翻訳ならできるかなと思って、出身大学の同窓会就職担当窓口に相談に行ったんです。そしたら、「英文科を出たからって翻訳家になれるわけじゃありませんよ」って言われて。ガーンですよ(笑)。悔しかったです。だったら短期集中で翻訳の技術を身につけようと思い、すぐに翻訳学校に入りました。

Q★翻訳の勉強を開始されてからデビューまでの経緯を教えてください。
A☆翻訳学校では、契約書翻訳、児童文学翻訳、英文ライティング、ノンフィクションと、たくさんのコースを受講しました。ノンフィクションのコースで、先生がクラスの全員にリーディングの仕事を紹介してくださったんですが、報酬が安かったので誰も引き受けませんでした。でも私は、最先端の本が読めるし、多少なりともお金がいただけて、自分の文章をプロに見てもらえるわけですから、絶対やりたいと思って引き受けました。学校に通うとお金が出ていくばかりなので、食べていくためにとにかく仕事をというあせりもあったかもしれません。ですから、経済誌の翻訳者募集にも応募しましたし、メディカル翻訳の通信講座も受けて、そちら方面の仕事も来るようになりました。これは学術論文なので、日本語の言いまわしが決まっているんですね。それで医学書を買ってきて、その文体を必死でまねしたんです。後から考えると、このとき文体のことを真剣に考えたのが文芸翻訳の勉強に役立ちました。
 そのころ、翻訳学校で、登録した人に仕事を紹介するシステムが始まったのでさっそく売りこみに行きました。それをきっかけにリーダーの仕事をもらい、さらに翻訳を「やりませんか」と言われたのが『恐竜大行進』です。この仕事をした時、映画の吹き替えみたいな感じで台詞を訳してみたんです。そうしたら、わりと生き生きしたものになって、「台詞がいいね」って言ってもらえました。じつは、私は以前受講した児童文学翻訳のクラスでは「台詞がかたい」と言われ続けていたんです。でも、これでやっと自信がついて、「児童文学をやっていけるかな」という気になりました。

Q★いろいろな分野の翻訳に挑戦されてきたのですね! では、翻訳学校で教えていらしたご経験から、翻訳学習者へのアドバイスをお願いします。
A☆受講生の皆さんを見て思ったのですが、翻訳の勉強を続けてきて壁にぶち当たったら、それはもう一歩上達する前兆なんですね。そういう時こそチャンスなので、絶対あきらめないで、とことん迷ってください。ただ、一人では見当ちがいの方向に行ってしまうことがあるので、「師」と呼べる人を見つけることも必要かもしれませんね。私だって自分のことはわからないから、学校に通わなくなってからも、そういう時は単発の翻訳クラスを受けたりしてるんですよ。
 それから、私自身は翻訳学校で教えるために、それまであまり興味のなかったエンターテインメント系の作品をたくさん読んだのですが、それがすごく面白かったし、勉強になりました。得意なジャンル、好きな作家だとのめりこんでしまうので、勉強にはあまりならない。逆に、あまり好きじゃないタイプの作家だと「こういうところで感動させるんだな」と客観的に読めるので、技術的なことですごく参考になって、食わず嫌いを直すことができました。
 シノプシスを1冊書くなら2、3冊は類書を読む。特に、不得手なジャンルのものや、よくないと感じたものについては、必ず類書を読むようにしています。自分の偏見で切り捨ててしまって、実はすばらしい作品だったりするといけないし。ともかく私にとっては仕事の機会が勉強の機会なんです。

Q★最後に、これから訳してみたい作品などありましたら教えてください。
A☆私はすごく職人的な翻訳家なので、極端な話、機械のマニュアルでも、どう訳そうかと考えるのが楽しくてしかたないんです。ですから、今までは、ご縁があればどんな作品でも、という感じでした。こういう題材の本でなければというこだわりはあまりなかったんです。でも、これからもっとたくさん翻訳していくためには、持ちこみもしなければならないでしょうし、自分が得意な作家やジャンルも見つけていかなきゃと思っているところです。私にとってやまねこのサイトは宝の山なので、そこからヒントや刺激をもらいながら、「私でなければ!」というものを見つけていきたいですね。

取材・文/安藤ゆか
2006-2-15作成

※本の表紙は、出版社の許可を得て使用しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

光野多惠子訳書リストへ

月刊児童文学翻訳インタビューの目次メニュー


copyright © 2006 yamaneko honyaku club