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月刊児童文学翻訳

─99年6月号(No.11 書評編)─

※こちらは「書評編」です。「情報編」もお見逃しなく!!

児童文学翻訳学習者による、児童文学翻訳学習者のための、
電子メール版情報誌<HP版>
http://www.yamaneko.org/mgzn/
編集部:mgzn@yamaneko.org
1999年6月15日発行 配信数982


「どんぐりとやまねこ」

     M E N U

◎賞情報
カーネギー賞・グリーナウェイ賞候補作リスト

◎追悼
英国の児童文学作家ヘンリエッタ・ブランフォード

◎注目の本(邦訳)
ヴァージニア・ユウアー・ウルフ作『レモネードを作ろう』

◎注目の本(未訳)
ハン・ノラン作 "Dancing on the Edge"

◎Chicocoの洋書奮闘記
第6回「続けて2冊」(よしいちよこ)   

◎特別企画
〜今、「ナルニア」を考える〜 プルマンの批判にこたえて



賞情報

―― カーネギー賞・グリーナウェイ賞候補作発表 ――

 

 過日、イギリスで最も権威ある児童文学賞であるカーネギー賞、ケイト・グリーナウェイ賞の今年度候補作が発表された。両賞の詳細については本誌99年7月号以降で詳しく取り上げる。受賞作の発表は7月14日。候補作は以下の通り。


【カーネギー賞候補作】CARNEGIE (作家対象)

"Skellig" David Almond (Hodder)
"Heroes" Robert Cormier (Hamish Hamilton)
"The Kin" Peter Dickinson (Macmillan)
"Fly, Cherokee, Fly" Chris D'Lacey (Transworld)
"The Sterkarm Handshake" Susan Price (Scholastic)



 "Skellig"は今年のホイットブレッド賞を、"The Sterkarm Handshake"は同じく今年のガーディアン賞をすでに受賞している作品。ロバート・コーミアが本国アメリカのニューベリー賞よりも先にこちらを獲得するかどうかも気になる。老練ディキンソンがこの意欲的長篇で受賞すれば、1979年、1980年に引き続きなんと3度目の受賞だ。

 

【グリーナウェイ賞候補作】GREENAWAY (画家対象)

"The Lion, the Witch & the Wardrobe" Christian Birmingham (Collins)
"Zagazoo" Quentin Blake (Cape)
"Voices in the Park" Anthony Browne (Transworld)
"I Love You, Blue Kangaroo" Emma Chichester Clark (Andersen Press)
"Pumpkin Soup" Helen Cooper (Transworld)
"The Lion & the Unicorn" Shirley Hughes (Bodley Head)
"Come on, Daisy!" Jane Simmons (Orchard Books)



 ブレイク、ヒューズは、受賞経験者のベテラン勢。クラークはそのブレイクに師事した、若手ながらすでに定評ある画家。新鋭バーミンガムはC・S・ルイス作『ライオンと魔女』を原作にした絵本で、色彩鮮やかな世界をつくりだした。20年前の自作を下敷きにして生まれたブラウンの作品も興味深い。

(菊池由美)


※候補作品や作家についての情報は、作家自身の寸評を含め、以下のサイトで読める。賞作の発表もこちらで。
http://www.carnegiegreenaway.org.uk/

※過去の受賞作品リスト(やまねこ翻訳クラブ作成)はこちらを。
<カーネギー>
http://www.yamaneko.org/bookdb/award/uk/carnegie/
<グリーナウェイ>
http://www.yamaneko.org/bookdb/award/uk/greenawy/

 

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追悼

―― 生きる勇気を示し続けた作家、ブランフォード ――

 

 本年4月23日、英国の児童文学作家ヘンリエッタ・ブランフォードが、乳がんのため亡くなった。まだ邦訳された作品はなく、日本では著名といえない作家だが、スマーティ賞を2度受賞、1998年には3度目のノミネートでガーディアン賞を受賞と、これからの活躍が期待されていた。彼女の経歴と作品について簡単に紹介したい。


【経歴】
ヘンリエッタ・ブランフォード
Henrietta Diana Primrose Longstaff Branford(1946−1999)

 英国軍人であった父の任地インドで生まれ、幼年期を過ごす。帰英後、読書好きの子ども時代を経て、青少年対象の社会活動に従事する。結婚後、地方紙への投稿を機にコラムを書くようになった。社会問題、とくに子どもたちが直面する問題には、生涯強い関心を寄せ続ける。児童文学創作を始めたのは40代にはいってからと遅いが、まもなく編集者に認められ、最初の作品が1990年に出版された。幼児むけ絵本からヤングアダルトむけ読み物まで、幅広く精力的に執筆。その数は22作にのぼり、死後刊行の作品もいくつか予定されている。作品では、人生に果敢に挑戦し、困難に立ち向かっていく子ども(とくに少女)たちの姿を描き、彼らの持つ可能性を強く肯定している。また、狩猟や乗馬を好む家庭に育ち、犬や馬などと親しんできたため、動物との深い共感が描かれるのも特徴である。(長じてからは、狩猟に対してはっきり反対の立場をとっている。)

 自らの病を知ってから、ますます旺盛に執筆し、子どもたちに心のよりどころと生きる勇気を与えようとしたブランフォード。彼女は最後まで時間と戦い、作品を生み出し続けた。



※ブランフォードについての情報は、タイムズ紙およびガーディアン紙の追悼記事を参考にさせていただいた。
タイムズ(5月3日付け)、ガーディアン(4月28日付け)

(菊池由美)

【主な作品】
1994 Dimanche Diller HarperCollins スマーティ賞受賞、ガーディアン賞候補
1996 The Fated Sky Hodder ガーディアン賞候補
1997 Fire, Bed and Bone Walker Books ガーディアン賞、スマーティ賞受賞
1998 White Wolf Walker Books  

 

【レビュー】〜猟犬の目を通して描き出す、農民反乱〜

『猟犬として生きる』(仮題)
ヘンリエッタ・ブランフォード作

Henrietta Branford "Fire, Bed and Bone" 128pp.
Warker Books, 1997 ISBN 0-7445-5484-5



 イギリスの中世を舞台に、反乱に巻き込まれた農民一家とその飼い犬との絆を描く作品である。

 この物語は雌の猟犬の目を通して語られている。語り手である猟犬は、飼い主夫婦が領主館に連行されたときに子犬たちを亡くし、ただ一匹残った子犬とともに野犬として暮らしていかなければならなくなる。その後、飼い主のところへ戻ってもまた引き離されることになる。それでもなお戻っていく。森で伴侶を見つけ子を産んでも、飼い主のところに戻ることを選ぶ。

 そうした生き方を選ぶ猟犬は、飼い主に対する愛情とともに、自分のことを「炉端に与えられた寝場所と骨("Fire, Bed and Bone")を知っている猟犬であって、野犬ではない」と語る。そこにあるのは忠実さだけではない。諦観にも似た自負だ。

 作者はこの誇りを描くことによって、猟犬に確固としたキャラクターを与えた。子供時代に動物とすごし、まえがきに「犬として書くのは自然なことだった」と書いた作者だからこそ、この猟犬を単なる語り手に終わらせるのでなく、読者の心に残るように描くことができたのだろう。

 また、この物語は、14世紀のイギリスで実際に起こった農民反乱(ワット・タイラーの乱)の経過にそって進行するが、歴史的知識が必要とされることはない。反乱のこまかな経過ではなく、あくまで地方に住む農民一家とその周囲を描いているからだ。

 むしろ、農民一家の運命を描くからこそ、農民たちの「アダムが耕しイブが紡いだ頃、誰が領主だったのか?」という言葉と、反乱が終結したあとの「何も変わらなかった」という言葉が説得力をもつ。そして、地方を舞台とし、ロンドンでの蜂起に距離をおくことによって、登場人物に反乱のむなしさを語らせ、批判させている。若いころ社会的な活動を行った作者の経験が反映されているように思える。

 この物語はハッピー・エンドで終わるわけではない。運命に翻弄されながらも生き抜いていく猟犬の姿は、サトクリフの作品の登場人物を想起させる。歴史物語としてすばらしい作品だと思う。

(古田香里)

 

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注目の本(邦訳編) 

―― 絶望をしょいこまないために ――

 

ヴァージニア・ユウアー・ウルフ作『レモネードを作ろう』
こだまともこ訳 1999.4発行 徳間書店 本体1,600円

Virginia Euwer Wolff "Make Lemonade"

Henry Holt and Company,Inc.1993(米国版)
Faber and Faber Ltd.1995(英国版)

『レモネードを作ろう』表紙


 貧しさでいっぱいのこの町を、いつかきっと、出ていきたい。大学へいくのが、その切符。でも、お金は自分でつくらなきゃいけない。だから、ベビーシッターのバイトをしようと決めた。雇い主のジョリーは、わたしと三つ違うだけの、17歳。ジェレミーとジリーという、ふたりの子がいる。ジョリーの家は、とても汚い。ごきぶりが、はいまわっている。わたしは、ジョリーみたくなりたくない。だから、きっと、大学へいくんだ。

 ジョリーが仕事をクビになった。ジョリーは、頼るひとがいない。なのに、福祉は、ぜったいに、いやだって。ふたりでリストを作った。ジョリーが、これからしなきゃいけないこと。びっくりした。ジョリーったら、ほとんど字が書けない。しかたないのかもしれない。父親の違う子をふたり、たて続けに妊娠したから、学校へ行くひまなんかなかったんだろう。ジョリーには、お金がない。だから、わたしにバイト代を払えない。でも、わたしは、ジョリーを見捨てることができなかった。だって、ジョリーが背負ってる荷物は、わたしのよりずっと重いから……。

 ヴァージニア・ユウワー・ウルフの作品が、日本ではじめて翻訳紹介された。本作品の主人公は、14歳のラヴォーン。アルバイトとしてベビーシッターをはじめるが、やがて、雇い主ジョリーの一家に深く関わるようになる。ジョリーを助けながらも、ジョリーのようになりたくないと思うラヴォーンの迷いと苛立ち、ジェレミーとジリーへの愛情が、散文詩形式の独白を通して生き生きと描かれている。訳者あとがきによると、作者は「いくら環境に恵まれていなくても、決してその犠牲になってはいけない」という思いをこめて、この作品を書いたという。作者のこの思いを、ラヴォーンとジョリーのふたりの少女が、読む者の胸に、まっすぐに伝えている。『レモネードを作ろう』は、作者の強い願いがこめられたタイトルだ。読後感は、さわやかで、そして、どこか寂しい。それぞれの道を、自分の足でしっかりと歩きはじめた少女たちを見送る寂しさかもしれない。「読んでよかった」と、心から思える作品だ。

(柳田 利枝)


【作者】Virginia Euwer Wolff(ヴァージニア・ユウアー・ウルフ)
 アメリカ・オレゴン州ポートランド生まれ。1940年代の少女期をオレゴンで過ごし、1959年スミス・カレッジを卒業後、教師となる。ふたりの子どもが十代になってから創作をはじめ、離婚後、教師を続けながらジャンルを問わずに書き続けている。これまでに出版された主な作品は、本書を含め、"Probably Still Nick Swansen"、"Mozart Season"、"Bat6"の4つ。本書『レモネードを作ろう』は、全米図書協会ヤングアダルト部門ベストブック、ゴールデン・カイト賞などに選ばれている。

【訳者】こだまともこ
 東京生まれ。早稲田大学文学部卒業。出版社勤務を経て、児童文学の創作および翻訳をはじめる。訳書に『メニム一家の物語』シリーズ(シルヴィア・ウォー作/講談社)、『草原のサラ』(パトリシア・クラクラン作/徳間書店)、『妹になるんだワン!』(スーザン・E・ヒントン作・高橋由為子絵/徳間書店)、創作に『三じのおちゃにきてください』(なかのひろたか絵/福音館書店)などがある。

 

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注目の本(未訳)

―― 自分を見失った少女がアイデンティティを取り戻すまでの物語 ――

 

ハン・ノラン作 『ミラクル ―― 絶望の縁で踊る』(仮題)

Han Nolan "Dancing on the Edge" 244ppA
Puffin Book 1999, ISBN 0-14-130203-8
(Hardcover : Harcourt Brace & Company, 1997)



 天才作家を父親にもつミラクルは、霊媒師の祖母ジジに、特別な子と言われて育ってきた。交通事故で息をひきとった母親の胎内から奇跡的にとりだされて、この世に生を受けたからだ。そんなある日、母親の霊を呼び出す交霊会の最中に、父親が失踪する。ジジは、父親が「溶けた」と言い、ミラクルもその言葉を信じる。が、世間はジジとミラクルを怪しみ、気味悪がる。ミラクルはジジに連れられて、ジジの別れた夫である祖父オパールのもとへ引っ越す。オパールは、ジジが決して許してくれなかったダンスのレッスンをひそかにうけさせてくれる。ところがそのオパールも、突然の心臓発作を起こして倒れてしまう。父親が消え、いままた祖父が病気になったことで、ミラクルは自分を責める。死体から生まれた自分は、本当は生まれるべきではなかったのではないか。奇跡など本当は存在せず、奇跡的に生まれた自分は、実は存在しないのではという思いにかられる。そしてミラクルは懸命に自分の存在を証明しようとする……。

 主人公の心の内がほとばしりでるこの作品は、予測のつかないストーリー展開で、読者をぐいぐいと引っぱっていく。ミラクルが体を打ちつけ、あざを作り、とり憑かれたように踊る姿は、自分の存在を確かめるようであり、存在と非存在、正気と非正気との境界にたっているかのようだ。現在のアメリカで、虐待を受けたり親の都合で見捨てられたりした子供達が、心にトラウマを抱えて、自分を傷つける行為に走ることが多いが、この作品もそういった姿を映しだしている。ミラクルが自分を見失ってからアイデンティティを取り戻すまでの過程は、読む者にはとても辛いが、自らの存在を考えさせられると同時に、真実から逃げ出す大人、エゴに満ちた勝手な大人の姿を見せつけられ、はっとさせられる。

 スピリット、オーラ、ガーデイアンエンジェルなどニューエイジ的要素を含んで展開される、異色のYA文学といえる。

(鎌田千代子)

Han Nolan(ハン・ノラン)
 米国アラバマ州バーミングハムで生まれ、ニューヨーク州で育つ。ノースカロライナ大学グリーンズボロ校でダンス教育の学士号、オハイオ州立大学で修士号をとる。現在は、夫と娘二人と共にアラバマ州に在住。本作品は1997年度全米図書賞(YA部門)を受賞。また前作の"Send Me Down a Miracle"も、1996年度同賞の最終選考に選ばれている。

 

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Chicocoの洋書奮闘記 第6回 よしいちよこ

―― 「続けて2冊」 ――

 

 切迫流産の危険を脱し、退院。自宅でも、なるべく安静にするようにいわれたのをいいことに、さっそく洋書を読みはじめた。

 まずは、"MISSING MAY"(Cynthia Rylant/1992年/A Yearling Book)。87ページ。12歳のサマーは、6歳のときから、メイおばさんとオブおじさんにひきとられ、育てられてきた。ところが、メイが死んでしまい、サマーとオブ二人きりの生活がはじまる。サマーは、妻に先立たれたオブの消沈ぶりが、心配でたまらない。ある日、オブはメイの霊が近くにいるといいだして……。

 7月15日から7月17日。3日で読了。夏にぴったりの幽霊話か、はたまた映画『ゴースト』か。わくわくしながら読みはじめた。この本では、メイの両親、サマーの若くして死んだ実の母、そしてメイの死がストーリーの鍵になっている。大切な人を亡くした者の気持ちが、痛いほど伝わってきて、あちこちで泣いてしまった。もういちど会って、話ができるなら、どんなことでも試してみたいという気持ちに共感。英語は難しくないし、ページ数は少ないし、洋書で泣けるという満足感もある。奮闘記第3、4回(12月号、2月号)でご紹介した「サラ」のシリーズより、一歩すすみたい人におすすめだ。

 続けて、もう1冊読んだ。"Shiloh"( Phyllis Reynolds Naylor/1991年/A Yearling Book)。134ページ。100ページを超す洋書というだけで、ちょっと及び腰だったが、7月22日から28日まで、1週間で無事、読了。11歳のマーティーは、ある日、道ばたで、小さなビーグル犬に出会う。その犬のおどおどした態度を見て、飼い主に虐待されているに違いないと思う。飼い主は、町でも評判の悪いジャッドだった。なんとかして救ってやりたいと思い、マーティーはこっそり飼うことにするが……。

 動物虐待を扱っているが、重くない。マーティーの一人称(しかも、He don'tやShe don'tというような文体)で書かれているため、子どもの素直な目で見たままを読んでいる感じだ。犬を守ろうとするあまり、嘘を重ねてしまい、苦しむマーティーがとてもいい。そして、なにより、この本を読みおえると、犬が飼いたくなってしまう。愛情をかければ、かけるだけ、それにこたえてくれるんだなあ。表紙絵もいい。

 

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古典研究

―― 今、「ナルニア」を考える ――
〜 プルマンの批判にこたえて 〜

 

 「もしもナルニアのような国があったとして、その国を救う必要があったとしたら、そして神(海の向こうの大帝)の御子が、ちょうどわたしたちの贖いのために地上にこられたように、ナルニアを贖うためにそこをおとずれたとしたら、その世界ではどんなことが起こるだろうか?」(1)

 そんなC・S・ルイスの問いに始まった『ナルニア国ものがたり』(岩波書店、全7巻)は、児童文学史上に確固たる地位を確立し、発表からほぼ半世紀を経た今も多くの読者を魅了している。昨年にはシリーズ第一作『ライオンと魔女』をもとにした絵本が発表され、現在グリーナウェイ賞候補に挙がっている。

 このユニークなファンタジーには今まで様々な論評が寄せられてきたが、中でもカーネギー賞受賞作家、フィリップ・プルマンが1998年にガーディアン紙に発表した『The Dark Side of Narnia』は大いに物議を醸した。それは、プルマンがルイスを「distasteful――不快きわまりない」作家であると断定し、『ナルニア国ものがたり』を「one of the most ugly and poisonous things I've ever read――自分が今まで読んだ中で最も醜く、最も有害な作品の一つ」と、感情を剥き出しに酷評したからだ。プルマンの非難はナルニア全巻に及ぶが、その攻撃の一番の矢面に立つのは、1957年にカーネギー賞を受賞した、シリーズ最終作『さいごの戦い』だ。

 プルマンは、この巻でスーザンの存在が切り捨てられていることを厳しく追求した。プルマンの目に映る「ナイロンとか口紅とか、パーティーとかのほかは興味ない」スーザンは、少女から大人の女性に変わろうとする興味深いキャラクターに他ならない。その貴重な成長過程を拒むルイスこそ、言わば女性恐怖症で性差別者なのだ。また、プルマンが最も我慢ならないのは、アスランが人間の子どもたちを新しい世界に導く最後の場面で、彼らが現実の世界では列車事故に遭い、すでに死んでいるのだと都合よく説明していることだという。プルマンはこれを、生を軽視し、死を美化する無責任な観念だと言い放つ。

 しかし、「supernaturalism――超自然」を公然と嫌悪するプルマンの視点は、超自然――キリストの受肉、贖い、復活――に望みを抱き、究極の価値を置くC・S・ルイスのそれとは完全にずれており、どこまで行っても平行線をたどるのみだろう。プルマンの活用している価値判断が現実の世界で人間が五感を通して体験できるものを前提としているのに対し、ルイスは人間の霊魂レベルにおいてのみ得られる、神への深い探求心と関わり合いに基準を設けているからだ。

 スーザンはシリーズの途中ですでにアスランに対する関心の薄れを示していたが、最終作『さいごの戦い』では、ナルニアを「わたしたちが子どものころによく遊んだおかしな遊びごと」と片付け、自らの意思で「ナルニアの友」でいることを拒否するまでになってしまった。彼女は、目に見えないものの存在と価値とを否定する唯物主義的思想を身につけたのだ。「スーザンに……ほんとうにおとなになってもらいたい……」という作中人物の言葉には、いつかは消えてなくなるはずの事柄に囚われて、恒久的価値を見失うことがないようにしてほしい、とのルイスの本心が込められているのだろう。ナルニア全巻に渡って、ルイスが等しく英雄と称し、読者の心に印象強く残るよう意図したのは、アスランを心から愛し、アスランを信頼し、そしてアスランに従うことを切望するルーシィ、リーピチープ、泥足にがえもんなどのキャラクターたちなのだ。

 そのようなルイスの価値基準が『さいごの戦い』の死と死後に関わる描写にも反映されている。ルイスは、肉体の死後も霊魂が生き続けることを信じていた。ルイスにとって、アスランの国、天国とは、良いものに何一つ欠けることのない、神が支配する完全な王国なのだ。そこには、ナルニアに存在していたような悪も、悲しみも、苦しみもない。代わりに愛と喜びと平和のみが満ち溢れている。ルイスは、『さいごの戦い』で、自分が望みを置いた天国の素晴らしさを描くことにより、ナルニア同様、悪、理不尽さ、試練が存在する現実の世界に生きる読者に励ましを与えることを意図したのだ。それは、プルマンが誤解するような生を半ばあきらめたり、死に急ぐといった現実逃避の観念とは異なる。後に来る世が素晴らしいからこそ、例え、今は困難の中にあっても希望と勇気を持って生きていこうとの作者からのエールなのだ。

 果たして、『ナルニア国ものがたり』を読んだ子どもたちの多くが、そこに「もう一つのお話が隠されていること」(2)を理解し、ルイスが秘めたメッセージを正確に汲み取った。特に最終巻『さいごの戦い』では、読者はここに到達するまでに、ナルニア建国、悪の侵入、そしてアスランの贖いの死と復活という波乱に満ちたナルニアの歴史を目の当たりにしてきている。だからこそ、「ハルマゲドン」、「最後の審判」、「天国」こそが、ナルニア史の幕を降ろす『さいごの戦い』に最もふさわしいテーマなのだと納得することができるのだろう。

 キリスト教文化の中に生きる読者たちにとって、原題の『The Last Battle』は、それら終末に関わるテーマを予感させる響きを持つ。物語最初に偽アスランが登場する場面も、キリストの有名な終末預言、「世の終わりには……わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『わたしこそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう」を思い起こさせる。

 また、聖書に対して詳しい知識を持たない読者にとっても、急速に進むナルニア没落のただ中にあって、アスランが変わらず存在していることは大きな慰めに違いない。巻末でアスランが悪を裁く場面には神に宿る正義を、アスランが「ナルニアの友」たちを「アスランの国」に招く場面には神に対する希望を見出すことだろう。

 この天国への希望と憧れは、聖書の知識のある無しを問わず、プルマンが激しく責め立てているような、生をあきらめる論理にすり替わることはまずあり得ない。読者たちは、絶対的存在であるアスランが自らの死を引き換えにしてまでも、エドマンドの命を尊厳あるものとし、救い出したことを熟知している。そして、そのようなアスランの愛に応えようと、ナルニアの英雄たちがアスランを慕って、懸命に生きている姿を繰り返し目撃しているからだ。

 このように、批評を受ける側に立つことの多かったC・S・ルイスは、かつて、批評家の多くには「良心的態度――批判すべき本の精読」(3)が欠如しており、批評の対象となる作品に対する「自分の無知を知らない」(4)と憂えた。しかし、イギリス文学批評家、アーサー・クイラー・コーチは古典作品の文学的意義に絶大な信頼を寄せ、こう断言する。

「それ(古典)は、どのように扱われてもすりへらずに、最初にそれを鋳造した気高い心の刻印をいつまでも残している。――あるいは、こういうべきだろうか、その後代々の人々がその鋳貨を鳴りひびかせて真贋を問うたびに、鋳型となった魂の余韻をひびかせつづける、と。」(5)

 その意味では、古典、『ナルニア国ものがたり』に寄せられる批評はいかなるものでも歓迎されるべきだろう。例え、その批評が好意を示すものにしろ、逆に悪意に満ちるものにしろ、それら全てによって試みを受け、その試みに耐えてこそ、古典としての地位を真に享受できるのだから。

(グールド朱美)


引用出典: (1)(2)『子どもたちへの手紙』C・S・ルイス(中村妙子訳)
(3)(4)『別世界にて』C・S・ルイス(中村妙子訳)
(5)『児童文学論』L・H・スミス(石井桃子、瀬田貞二、渡辺茂男訳)

 

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●編集後記●

 今回、書評編の編集をさせていただきました。これからも、より充実した内容をお届けできるよう、がんばります。よろしくお願いします。(き)


発 行: NIFTY SERVE 文芸翻訳フォーラム・やまねこ翻訳クラブ
発行人: 小野仙内(文芸翻訳フォーラム・マネージャー)
編集人: 菊池由美(やまねこ翻訳クラブ・スタッフ)
企 画: 河まこ キャトル くるり Chicoco どんぐり BUN ベス YUU りり ワラビ
協 力: M みるか KAMACHIYO ブラックベリー ながさわくにお つー


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